毎度、ファイナンシャルプランナーの中山沙映です、とご挨拶していますが、実は本業は普通の会社員です。
短大を卒業してから30年、会社はいくつか変わっていますが、切れ目なく、仕事をしています。新卒時はバブル期だったので、分不相応に大手企業に入社しましたが…その後バブル崩壊やリーマンショックなど、景気の底の方の時代もあったのに、仕事があることは、ある意味恵まれていました。
今日は、自分の職歴について振り返ってみます。
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時代はバブル期!バブルなOLやってました
私が短大を卒業したのは1989年。ちょうど、昭和から平成にかわったときです。はじめての仕事は、それまであった書類の「昭和」と印刷された部分を二重線で消して「平成」のハンコを押すことでした。
その当時はバブルだったので、本来、私の成績ではちょっと入るのが難しかった大手企業に就職できました。
最初は新宿の支店。同期にも先輩にも恵まれて、楽しいOL生活のはじまりでした。仕事は大変でしたが、なんせ景気が右肩上がり。やればやるだけ成果も出て、取引先の社長に、20代の小娘では払えないような高級料理店やディスコのVIPルームに連れて行ってもらいました。
このときは「よく遊び、よく働き」ましたね。
その後、新宿から丸の内の本社に異動しました。同時にバブル崩壊があり、仕事内容も厳しくなりました。終電でも帰れないくらい遅くまで仕事をし、タクシーで帰ってきたこともありました。
当時、髪の毛が長かった私。そして、その頃は会社のデスクでたばこスパスパ吸うひとも普通にいて、1日働くと、髪に自分が吸っていないのに、たばこのにおいがついて臭かった。夜中帰宅して、髪の毛洗って…そこで寝落ちしても、朝は6時に起きて会社に行く。朝起きると(当時は親と同居していたので起こしてもらっていました)髪がまだ濡れたままだった…なんてこともよくありました。
そして、当時は自分の席にノートPCなどなく、PCを使うときは、OAルームというでかいモニターのPCがたくさん置いてある別室で作業をしていました。ある日、自分の机に「OAルームに行ってきます」というメモを残して作業をしていたら、私、そのままOAルームで鼻血出して倒れてたんです。それを、最終退出で消灯と施錠のチェックをしに来た、同じ部の男性が見つけてくれたのです。そのとき、私は思ったんです、「ここにいたら過労死する」と。
残業代もタクシー代も出たけれど。
やめるのはもったいない大手だったけれど。
すでに時代は不景気だったけれど。
何度も異動願を出したけれど、受け入れてもらえなかったので退職しました。
世の中不況?と思ったらすぐに再就職できました
大手企業退職後は、退職金をたくさんもらったので、それまで忙しくてできなかった習い事や、海外旅行などしました。
散々遊んだあと、ちょっと就職活動したら、すぐに就職が決まりました。時代はすでに景気は下降気味でしたが、まだ若かったし、大手企業勤務だったこともプラスになったようで、あまり苦労せず、再就職が決まりました。
再就職したとき、職種は受付でした。受付なら残業しなくていいと思ったから。
ところが。
仕事が慣れてきた頃、一人事務スタッフが急に会社に来なくなっちゃって、仕方なく事務の手伝いをすることになり…結局、受付兼事務をすることになりました。
そこで気が付いたんですけど、私、結構仕事がデキるひとだったみたいで、それまで手書きだった事務を、PCでできるように作りなおしたら、さらに仕事をまかされ…結局、またすごく残業するようになっちゃいました。
調子に乗っていたら、なぜか自分がリストラされました
時代はさらに不景気になり…会社はリストラをはじめました。私は若いし優秀だし、とタカをくくっていたら、なぜか私がリストラされました。
会社のえらい人に言わせると、「きみが一番社歴が浅いし、若いから、次みつかるよね」だそうですが、それ、普通のリストラとちがいますよね?
むかついたので、リストラ宣告されたあと、1週間で会社をやめました。会社都合なので、速攻、がっぽり退職金をもらいました。
思ってもみなかったリストラ。このときも、退職金があったので、ちょっとゆっくり過ごしつつ、次のことを考えました。
新卒で入った会社では、社会の大きな流れとか、世の中の動きとか、そいういったものを学びました。
次に会社では、会社の大きな流れ、経理や社会保険などを学びました。
あと、自分に弱いジャンルは法律かな、と思って法律事務所をめざして就職活動をはじめたら、うまく就職することができました。
その法律事務所は、ボス弁護士1人、いそ弁(居候弁護士のこと)1人、同じ事務員の女性1人、のこじんまりした事務所でした。
わりといい事務所だったのですが、その当時、すでに30代後半になっていた私。もう、結婚しないかな、できないかな、と思いはじめていて、だったら、ずっと60歳まで働ける環境が必要と考えました。
ボス弁護士は当時60歳手前、事務所を継ぐお子さんもいない。となると、今の状況であと何年働けるか…そう考えたとき事務所を退職することにしました。派遣会社に登録すると、結構お誘いがきまして、その中からとある会社を選びました。それが、今働いている会社です。
長くなったので、続きはまた明日!