ちょうど残り1ロールとなったので購入したトイレットペーパーを、買いだめだと思われたくなくて、エコバッグに必死につめこんだファイナンシャルプランナーの中山沙映です。(わりと他人の目を気にする性格)
半世紀も生きていると、「これは大変」と思う出来事に何度か遭遇しています。私がすごく記憶に残っている出来事とパニックは…
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1973年オイルショックによるトイレットペーパー買い占め騒動
当時まだ幼かったけれど、TVでトイレットペーパーを買い占めしている映像を観て「なんでうちは買いに行かないの?」と聞いたら、母が「こういうときのために、ちゃんと用意したるのよ!」とドヤ顔でした。
あとで聞いたら、たまたま少し前に、団地のママ友たちで大量一括購入していたのだとか。
1993年平成の米騒動
この頃はもう大人になっていたのでしっかり覚えています。1993年、天候不順により米の価格が高騰、市場に米が出回らなくなりました。急遽タイ米が輸入されましたが、日本人の嗜好に合わず流通しませんでした。
生まれてこの方、食べたいものが食べられない、という経験がない私はちょっと焦りましたが…このとき、大叔母(母方の祖母の妹)が「米がないなら、うどんでもそばでも、パスタでもパンでも食べればいいでしょ」と言ったんですよね。「戦争のときなんて、何も食べるものなかったんだから」とも。
このとき思いましたね。
戦争経験者のマインドの強さ、半端ない。私は大叔母に着いていく!と。
ちなみに、連日うどん・そば・パスタ・パン・タイ米のごはんで弱音を吐いた家族全員に「仕方ないわね」とドヤ顔で日本のお米を炊いた母。ホント、性格悪いよ…
1995年阪神淡路大震災
このときはすでに働いていました。当時勤めていた会社は神戸に支社があり、まったく連絡がとれない状況でした。たまたま神戸の支社からの内線電話を取った私は、会議室に籠っていた上司を呼びに廊下を爆走しました。
「こんな災害があって、会社はどうなっちゃうんだろう?日本はどうなっちゃうんだろう?」と不安でしたが、前述の大叔母が「数日待てば支援物資は届くでしょ。2~3日食べなくても、風呂入らなくても死なないから。空襲があるわけでなし」と言いました。いや、ホント、戦争経験者は強いです。
その後2011年東日本大震災がおこります。大叔母はもうなくなっていました。存命だったら、何て言ったでしょうか。
ただ、2011年当時、被災地はもちろんのこと、他の地域でも計画停電があったり、みんなが不便な思いをしました。あの時、日本人はお互い助け合って、なんとか立ち直ろうと一丸になっていました。不謹慎かもだけど、そんな日本がすごく好きだな、日本人でよかったな、と思ったものです。
震災や台風に比べたら、家は壊れていないし、電気も水もちゃんと供給されています。当時のことを考えたら安全で快適な自宅で過ごせるんだから、恵まれていますよ。ほんの少し我慢すれば、感染拡大は防げるはず。9年経って、あの高潔な日本人のマインドはなくなってしまったのでしょうか。
学校が休みになるというのに、昨日は街には小中学生があふれていました。私はスーパーに、最小限の買い物をし、スポーツクラブの休会届を出しに行くだけの外出でしたが。
今日から仕事は時差出勤になりました。仕事は仕方がないので行きますけど、そのほかの不要不急の外出はすべてキャンセル。早く普通の日常生活が戻ってきますように。