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中山さんのブログ

FP中山沙映の日記

乳がんになったときの話

更新日:

40代後半で、乳がんになりました。2014年のことです。

病気に興味のない方はスルーしてくださいね。

ただ、私の今の人生の転機となった出来事なので、ブログに残しておきたいと思います。

そして、もし、同じ病気に悩んでいる方の参考になればと思います。

Contents

病気になる前の私

それまでの私は、仕事が忙しくて毎日残業。食事も差し入れのお菓子をつまむとか、簡単にコンビニのおにぎりだけ。土日は疲れ果てて家で引き籠り。といったどうしようもない生活をしていました。

その当時は、何が楽しくて生きていたのかな?毎日が忙しすぎて、ちょっと記憶にないです。

そんな生活の中、お風呂で身体を洗っていると、ふと違和感。

なんか、胸にしこり?これってまさか乳がん?

いや、今まで大きな病気などしたことがないし、身内にもがん患者はいません。

だから、自分ががんになるなんて思いもしませんでした。

会社の健康診断からの要再検査

会社の健康診断は毎年ちゃんと受けていました。婦人科は、マンモグラフィーと超音波を交互に受けるようなシステムで、その年は超音波でした。

普通、健診結果が出るのは1ケ月後なのですが、健診を受けて1週間後に要検査の通知が届いたのです。その時点でも、ちょっと不安はあったものの、まだがんと認めたくない気持ちがありました。

以前、乳房の石灰化で要検査になったことがあり、そのとき診ていただいたクリニックに行きました。

検診結果と紹介状を先生に渡して、触診してもらいます。

先生
先生
はい、乳がんですね。

あれ、ドラマだと「ご家族の方を呼んでください」とか言うけど?いや、おひとりさまなので、呼ぶ家族いないけど…

先生
先生
腫瘍が悪性かどうかは手術後に検査します。今日は血液検査だけね。僕、患者さんの身体と財布に優しい医者だから、無駄な検査はしないよ。マンモグラフィーやらなくても、腫瘍があるの、わかるから。いつ手術しようか。

と、サクサクとお話が進みます。

私も悩んでいる暇がなく、先生が提示してくれた手術できる日時から、前後1週間仕事を休んでも大丈夫そうな日を選んで予約ししたのでした。

病気のことを上司と同僚、弟に話す

まず、上司に病気のことを伝え、しばらく休みたいと言いました。

このあたりは、各人の職場の雰囲気や社風にもよると思います。病気だと言えば退職に追い込まれるような職場もあるでしょうから。

私の会社の社風や組織上、退職に追い込まれることはないな、とわかっていたので、正直に話すことにしました。

上司2人は、若い頃組合活動をしていた方と、以前人事にいたことがある方。そのあたりの対応は信頼していました。

それから、仕事で迷惑をかけるかもしれない同僚数人に病気のことを話しました。

みな女性で年齢も近いのでショックを受けていたみたい。

だけど、精神的に大人な人たちなので、騒ぎたてることもなく、でも優しくフォローしてくれたので、私はとても救われました。

家族では、弟に話しました。色々、身内にしか頼めないこともあったので。弟も、弟のお嫁さんも、すごく心配してくれて、優しかったです。いつも「もっと頼ってくれていいんだよ」と言ってくれます。

両親には、術後、検査結果が出てからはなそうと思っていたのですが、弟が話してしまいました。

電話で「なんでそういう大切なことを親に話さないの!」と怒られました。

私、今まで大きな病気をしたことがなかったし、出産もしていないので、まさにはじめて親にもらった身体を傷つけるという事態だったので、なんか申し訳なかったんですね。

弟夫婦にも、会社の同僚にも救われたし、病気になってはじめて、私って人間関係に恵まれている、と気付かされました。

入院と手術は超簡単!そして検査結果は良好

休暇は1週間もらったものの、実は入院は手術した当日、1日だけでした。それだけでいいって、先生がおっしゃるんだもの。

休暇の初日に手術して、1週間安静に過ごしました。切ったところが痛くて、動くのもつらかったので。

手術でとった腫瘍と脇のリンパ節の細胞は、病理検査にまわされました。結果は、腫瘍は悪性ではなく、転移もなく、ひとまず安心。この結果が出るまでが長くてつらかったです。

手術後の治療と生活

私の主治医の先生は、今まで通りの生活ができるように、という治療に対するポリシーをお持ちです。

各人の症状や状況によって異なるのでしょうが、私に対しては、○○をやってはいけない、といったNGリストはありません。

「お酒飲んでもいいですか?」「え、お酒ダメって言った覚えないけど?」

「スポーツクラブで運動してもいいですか?」「身体がつらくなければやりたいことやっていいよ~」ってな感じです。

治療は、抗がん剤や放射線治療の必要はなく、ホルモン療法として投薬のみです。

薬の副作用のひとつに、太りやすくなる、というものがありまして、私はこれに苦しめられました。

薬のせいだけではなく運動ができなくなったことも理由だと思います。手術したことで、肩まわりや腕を動かすことさえつらかったのです。

病気とはずっと付き合っていく

今から思うと、私は乳がん患者としてはとても恵まれていました。

術後の経過もよかったし、その後の治療もホルモン療法だったし。

手術をしても、胸の形はほとんど変わらず、洋服を着た上からはまったく違和感なし。

今は手術痕もうすくなり、多分、お風呂とかで注視しなければ気が付かないくらい。

だけど、やはり当時は、身体も心も辛かったです。

最近では、闘病中であることをカミングアウトする著名人も多いですよね。

同じ病気の方にとっては励ましになっていたのかもしれないけれど、私はちょうど北斗晶さんや小林麻央さんの闘病とほぼ同じ時期だったので、彼女たちのブログは読めませんでした。

自分から読みに行かなくても、PCを立ち上げると記者会見の様子やブログに書かれた内容が目に入ってくるのもつらかった。

ドラマを観ていても、登場人物が癌、なんて展開になったりするので、テレビも観れなくなりました。

時間が経ち、少しずつ体調がよくなってきて、1年経った頃かな。

まずはダイエットをしようと情報収集したり行動したりして、さらに勉強をはじめたりして、徐々に前向きに活動するようになったのでした。

術後5年経って

転移の恐れはずっと持ち続けることになります。今は、病気と付き合うのも自分の人生の一部、と考えています。

その中でつねに「自分ファースト」を心がけています。

働かないと生きていけませんから、仕事はずっと続けています。でも、上司に話したことで、仕事内容を配慮してもらうことができました。以前は結構外出が多い業務を担当していたのですが、外出しなくていい業務に変更してもらえました。

 

病気についての日記は、まずはここまで。

 

暗い話題にお付き合いいただきありがとうございました。

 

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